その2〜じわじわと感じるニューヨーク
日曜の朝はニューヨークへ来て初めての快晴だった。晴れ上がっていると放射冷却の影響でなまじ曇りの日より寒いそうだ。 ゆうべのフライドシュリンプがかなり重くやや胃がもたれ気味だったので、運動もかねてセントラルパークまで散歩に出かけた。行き道のマクドナルドでパンの硬いハンバーガーとコーヒーを買う。アメリカンサイズ。しかしカウンターの店員はお互いスパニッシュで会話している。いかにも人種の坩堝だ。おかげで東洋人の僕も胸を張って歩ける。ふと気づくと「A JAP came to New York City」という歌詞をでっち上げて小気味よく口ずさんでいた。これは面白い曲になりそうだ。 マフラーを耳に巻きつけたくなるほど寒かったゆうべの教訓で毛糸の帽子をかぶってきたのは正解だった。日差しは降り注いでいるものの、冬木立をすりぬけてくる風はいささか冷たい。白い息を吐きながら小高い丘のような所にのぼり、あずまやのような場所でコーヒーをすすりながらハンバーガーをほおばった。目の前をリスがすばしっこく通り抜けていく。子供たちのはしゃぐ声に振り向けば、なんと公園の中にスケートリンクがある。ジョギングのカップル。ベビーカーの親子。犬を連れた人々。平和なアメリカがここにはあった。
帰りに薬局を見つけて立ち寄る。手持ちの胃薬が切れていたのだ。横文字だらけ(当たり前だ)の棚をつぶさに追って何とかこのあたりが胃薬だろうと思われる場所を見つけたが、胃酸を抑えるといったようなことが書いてあるのはわかるものの、日本でなじみのあるような名前はないからどれがよく効くのか見当もつかない。仕方なく愛想のよさそうな若い女の店員をつかまえ、英語はあまり得意じゃないんだがと断って訊ねてみた。Overeating(食べ過ぎ) でstomachache(胃痛)だと告げると、ニューヨーク流の容赦ない早口で何か細々と説明したあと、「これならすぐ効くわよ」と毒々しいピンク色の水薬を勧めてくる。何だこりゃ? まるでストロベリーシェイクみたいな色じゃないか。こんなの日本じゃ絶対に売れない。見れば「Maximum Strength(最強)」と書いてある。確かに、あとで飲んでみたらすぐ効くしよく効く。きっと日本の薬事法なら医師の処方箋がいるぐらい強力な薬であるのかもしれない。良薬は口に苦し、眼には醜しか。 僕が会計をしているとベビーカーの父子が入ってきた。入り口のところで店のおばさんがベビーカーの女の子に声をかける。「Cute! How old are you?」(かわいいわねえ。いくつ?)と。しかもゆっくりかみ含めるように話している。なんだよこいつら。やればできるじゃないか。僕にもそれぐらいの速さで話してくれたらいいのに。ちなみに女の子は「Three」と答えていた。すばらしい発音だった。「th」の音はちゃんと歯の間で舌を滑らせているに違いない。なるほど僕はここだと三歳児にも劣るようだ。 ニューススタンドでタブロイド版のNew York Postを手に入れる(New York Timesの日曜版だと日経の元旦号ぐらい重いからだ)。見出しには「Death Comet」の文字が躍る。大写しの写真は確かに白昼の大流星だった。夜空で見かける流れ星のほとんどは直径数ミリ程度の宇宙の塵だ。1センチもあれば昼間でも見える大火球になる。砂粒ほどの塵でさえ大気の摩擦によって肉眼で見えるほど激しく輝くが、多くは地上に落ちる前に燃え尽きる。断熱タイルを剥がれた全長122フィートの宇宙船はさながら大隕石のように白昼の空で火の玉になった。地上で見つかったヘルメットの残骸が痛々しい。黒焦げになった遺体の一部も発見されたという。 昼下がりからカーネギーホールでMETオケのコンサートを鑑賞した。ジェームズ・レバイン指揮。モーツァルト、ブラームスの弦楽器コンチェルトが3曲。ヴィオラという楽器の奥深さには感動した。バイオリンのような繊細さを持ちながらチェロのような太さまで兼ね備えている。オケも小編成ながら日本の楽団が2つ合同でやっても出せないほどのダイナミクスと音量を醸し出していた。この違いはどこから来るのだろう? 日本のオケと違って海外のオケはホームになるホールがあってそこで練習しているから、弦楽器がリハの段階からフルスイングで弓を引ける。だから本番でもあれだけの音量でしかもダイナミクスが出る。
夜は同行の記者の希望でタイ料理を食らった。ホテルのコンシェルジェのお奨めの店だったが不味いことこの上ない。ちょうど前の週に渋谷で美味いタイ料理をご馳走になったばかりだったのも不幸だった。それでもこの店は満員。米国人の味覚なんて実にあやしいものだ。僕が自分の特製ガラスープでラーメン屋を出したら全米に50店舗以上のチェーンを作れるかもしれないと思った。 ともかくも比較的のんびりと過ごせた日曜の夜だった。
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