その1〜濃すぎる週で最大に濃い日

 

 逗留先のSwissotelはニューヨーク56番街にある。疲れらしい疲れもなく、一晩ぐっすり休んだ。ひと風呂浴びたあと、人通りも少ない土曜の朝の霧雨の中を散歩がてら2ブロック先のスターバックスへ出かけた。何しろホテルの朝食は値段の割にたいてい悲劇的なほど不味い。それよりは少しましな5ドルのサンドウィッチをほおばりながらこれを書いている。ラジオからは「ケセラセラ」。思わず鼻歌を唄う余裕さえある。そこまではいい朝だった。

ところが9時半(日本時間午後11時半)を回ったころ、スペースシャトルにアクシデントがあったとのニュースが耳に飛び込んできた。コロンビア号がLost controlになったと。あわててテレビをつけたらどこの局もこのbreaking newsを報じている。ヒューストンとコロンビア号との通信がとだえたとの報だ。CNNでは火を噴きながら飛んでいく航跡。何度も小爆発を繰り返している様子がうかがえる。いったい何が起こったんだ!? 僕は貧弱な英語力で必死に状況を追った。

 1月16日に打ち上げられたコロンビア号とNASAとの連絡が途絶え、機は火を噴きながら地上に向かっている。着陸は危険、ロケットは燃えている、地上との連絡は依然途絶えている、このままだと破片が地上に激突する、大統領が緊急会議を招集、テロとは関係なさそうだ、と画面の下に次々とテキスト情報が流れる。キャスターは発射時に断熱タイルが剥がれて機体が大気圏突入の際の摩擦で燃えているのでは、との推測を早口で伝えている。コロンビア号はシャトルの中で最も旧い機体らしい。マッハ6で航行中、もはや乗員7名の脱出は不可能・・・朝から何という痛ましいニュースだ。

 CNNの続報が気になったが、仕事の関係で11時に新聞記者と待ち合わせてカーネギーホールの並びにあるメトロポリタンタワーのペントハウスに要人を訪ねなければならなかった。たまたまそこでは日本のNHKニュースが流れていて、やはりこのことを大きく扱っていた。家主に断ってチャンネルを換え、またCNNの続きを見た。機体はテキサス上空で破壊されたのは間違いない、という意味の英字幕が流れている。一同で言葉を失った。

 日本クラブで食事をしたあと、数名でGround Zeroに向かった。街に掲げられた国旗はみな半旗になっている。半旗のことをAt half staffと言うらしい。ドライバーがそう言っていた。街並みはしだいにダウンタウンのそれになっていく。ストリートバスケのポストがあちこちに見える。

 マンハッタンの西南から港湾に面した道路を抜け、Ground Zeroを見渡せる隣のAMEXビルに案内された。土曜日なのでオフィスは閉じている。同行の現地人が地下駐車場の前でセキュリティに紹介者の名を告げると、除虫剤を撒くような機械で入念に車の火薬反応をチェックされた。お約束といった悠長なセレモニーではない。検査の眼は真剣そのものだ。何しろ彼らは自分たちの命もかかっている。この国はまだテロに怯えているのだ。それが終わるとようやく大柄な黒人のガードマンが微笑みを浮かべ、車を奥に誘導してくれた。

 案内されたのは10Fで、そこはどこも使っていないオフィスだった。薄暗い廊下を抜けると外に出られる窓があり、同行のセキュリティが重い窓をこじ開けて我々を外に出してくれた。そこはまさに、2001年9月11日の朝までは巨大な2棟のビルに視界を遮られていたはずの場所だった。しかし今は廃墟となった工事現場越しに向こう側のビルや教会まで見渡せる。

 復旧なのか事後処理なのか、地下数階までえぐられた土地があの日の凄惨さを無言で伝えている。工事現場の音だけが響き渡る。それはまるであの惨劇の朝の崩壊の轟音の残響のようにも、また、助けを求める幾千の声の残響のようにも聞こえた。勇敢に飛び込んで言った消防士たちの雄たけびの残響にも聞こえた。この音のことを僕は生涯忘れないだろう。悲しく胸に突き刺さる音だった。この音を消してはならない、と思った。この音を知らぬ人がまた争いを起こす。この音の悲しさを伝えるのが僕たち音楽家の仕事だ。

 僕は写真を撮る前にまず合掌した。しかしいったいどんな言葉で祈ればいいんだろう? この醜い争いはそもそも祈りの言葉が違う人々の間で起きたものだ。僕はただ手を合わせたまま眼を閉じた。でもこの争いを解決するのは言葉でしかない。コロンビア号墜落に歓喜する人々に訴えるのは言葉でしかない。僕は仏教の回向の言葉を口にしてみた。再び眼を開けてみると、ガイドのセキュリティが僕に向かって怪訝そうな顔をしている。「Japanese way to pray」(日本式のお祈りだ)と僕は言った。彼は微かな笑みを浮かべて「Thank you」と応えて何度も頷いた。川を隔てたニュージャージーに住む彼にとってさえもこの惨劇は傷だったのだ。

 AMEXのビルを出てGround Zeroを隔てた反対側にある教会の前まで歩いた。教会の柵にはマジックでさまざまなメッセージを刻んだTシャツが結びつけてある。「We will never forget」(私たちは絶対に忘れない)という言葉を多く眼にした。忘れないのはテロリストへの憎しみばかりなのか。戦いを憎む気持ちこそ忘れないでいてほしい。かたや近所には観光客目当ての露天商も出ていてWTCのホログラフ模型まで売られていた。これがニューヨークであり、アメリカ合衆国なのだ。逞しさと卑しさが同居している。

 

 午後4時(日本時間2日午前6時)過ぎにホテルの部屋に戻ったとき、CNNのニュースのヘッドラインはdisaster(惨劇)になっていた。「シャトル爆発記者会見」が生中継されている。やっぱり絶望だったのか。NY1という局はアニメーションで墜落の模様を再現した。両翼が?がれ、本体が分解して地上に落下していく模様だ。眼を覆いたくなる。

 画面下に流れるテキストの中にもっと悲しい一行があった。ロイター電はイラク国民が「神からの天罰だ」と叫んでいることを伝えていた。確かにこの事故はイラク空爆を遅らせることだろう。しかし戦争に何ら関わりのない飛行士たちの死を歓ぶ己の醜さに気づかないほどあの国では米国への憎しみが充満している。乗員の中にアラブの忌み嫌うイスラエル人飛行士がいたことも彼らの憎しみを煽ったことだろう。

 ブッシュ大統領は「我々はコロンビア号を失った」と演説した。ニュースのヘッドラインは「Columbia lost」になっている。アメリカ合衆国は9.11についでまたひとつ大きな自信を失った。今度は自らの失態によって。否、WTCもまた米国の失態の結果なのかもしれない。

 テロは許しがたい。しかし、米国は半世紀前に我が国の数十万の罪なき人々を一瞬のうちに灰にする手段を講じた国だということを忘れてはならない。昭和20年8月、すでに外交上は終戦が決まっていたにもかかわらずトルーマン大統領は二つの残酷な太陽を広島と長崎の上空で炸裂させたのだ。終戦を早めるため、などという言い訳は通用しない。日本はすでに抵抗する力もなく、各国に敗戦を認める通告をしていた。にもかかわらず二つの都市が廃墟になり、多くの尊い命が失われた。要は核兵器の人体実験場にされたのだ。

それでもいま日本は米国に憎しみなど抱いていない。じっさい戦争を知らない僕がこうして罪なき犠牲者に祈りを捧げに来た。あの忌まわしい大量破壊兵器の犠牲になった唯一の国から来た者だからこそ言える。すぐに対話せよと。憎しみの果てに平和などない。あるのは不信と恐怖だけだ。

 その夜、同行していた新聞記者と一緒に夕食に出かけた際、かつて米国に赴任していた頃よくスペースシャトルの取材に出かけたという話を聞いた。彼によれば「堕ちたときのための情報集め」なのだそうだ。なるほど、CNNも他の局も乗員のインタビューなど素材をたくさん持っていて、午後8時からの特番にはそんな映像がふんだんに使われていた。ここにジャーナリズムの卑しさの一端を見た気がする。否、それは視聴者の卑しさを反映したものに過ぎないのかもしれない。

 ともあれ濃い一日になった。記者と一緒にホテル近くの西海岸風海鮮居酒屋(と呼んでいいのか?)のカウンター席で揚げ海老とタラバガニをつつきながらサミュエル何某というビールをあおり、お互いの労をねぎらった。食も進まず、カウンターの向こうを行き来するブロンド娘にビールのおかわりを頼むたびに「Eat all!(ぜんぶ食べなさいよ)」と叱られた。こんなものをぺろりと平らげてしまうから連中の多くはあんなに太っているのだ。ヒステリックな禁煙政策をとる前に砂糖と脂肪を制限した方が行政の医療費負担は確実に減ると思う。そういう意味ではまったく本末顛倒な国だ。

 ちなみにそのブロンド娘はなかなかチャーミングだった。およそ白人は老けて見えるものだが、彼女も東洋人から見たら大人っぽく映るがおそらくティーンエイジャーなのだろう。はちきれそうな肢体を真っ白なTシャツ&ホットパンツに包んだ格好はアンナ・ミラーズも顔負け。秋田の竿灯でも挿せそうなほど巨大な胸の谷間をおしげもなく晒した姿には眼のやり場に困る。日本なら超グラマラスとされるこの娘ぐらいがこちらでは標準なのだ。

 しかしこんなにセクシーなブロンド娘もこの国でこんな油っこいものばかり食べていたら10年後にはただの脂肪の塊になってしまうに違いない。ティーンエイジャーのうちが華・・・などとこそこそ話していた我われだが、酔いにまかせてチップを余計にはずんでしまったところは悲しい男の性か。おいおい、六本木の国際パブじゃないんだぞ。

 

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