その3〜容赦ない。

 

 容赦ない、というのもニューヨーク印象だ。聴き取れずに訊き返しても同じ速さで繰り返すだけ、ということは聞いていたが、確かに昨日の薬局でもそうだった。連中は相手が東洋からきたおのぼりさんであろうと会話のスピードを緩めることはない。別に彼らも意地悪をしているわけではなく、そもそもその速さを基準とした一続きの音として彼らの言語中枢に刻まれているのだ。だから「May I help you?」を「メイ・アイ・ヘルプ・ユー?」などとゆっくり話すことなどできない。「メアヘピュ?」という音の塊になって出てくる。

 恥ずかしい話だが、今朝は朝食を買いに近所のサブウェイみたいな所(じっさいその少し手前にSubwayがあったが閉まっていた)に行って、チーズ&ハムのバーガーを注文できたまではいいのだが、レジで「ケチャ?」(確かにそう聞こえた)と言われて戸惑ってしまった。すると「ユニケチャ?」と言い直す。僕が慌てて「英語はうまくないんだ」と逃げると、肩をすくめながら小さなパックを見せてくれた。何のことはない、You need ketchup? (ケチャップは要るか?)と訊ねられていたのだ。別にケチャップなんか要らなかったのに思わずO.K. please.と言ってしまった。おかげでご親切に3パックも入れてくれた。

 そう考えてみると我々だって「あなた は ケチャップ を 必要 と して い ます か」などというふうに正当な文法に則った日本語を逐語で習ってきたわけじゃない。「ケチャップいります?」ぐらいになるだろう。僕だって「Dou you need ketchup?」と正しい構文にしたがってゆっくり言ってもらえたらきっと理解できたと思う。タブロイド紙に揚げ足をとられないよう一言ひとことを慎重に選びながら話す英国王室のような人が相手なら僕だってじゅうぶん会話できる。実際、ふだんでも東京のオフィスにかかってくるビジネス英語ならほとんど不自由しない。

まったく僕はyou, need, ketchupと単語を逐語で教え、次にそれを構文にしたがってDo you need ketchup? と組み合わせていく日本の馬鹿げた英語教育システムの犠牲者だなと思う。いったい誰がこんな非効率的な教育法を考えたのか。「ケチャップいります?」さえ聴き取れない僕なのに、これでも駿台予備校の全国模験では3万人中23番、偏差値83を取ったことがある。狂っている。やはり日本の英語教育は根本的に見直す必要がある。

 ちなみにマクドナルドでは必ず「シュテアゴ?」と訊ねられる。「Stay? Or go?」、つまり「お召し上がりですか? お持ち帰りですか?」の意味。しかしそういう彼らはカウンターの中だとお互いスパニッシュで会話していたりする。もとよりこの街は人種の坩堝であり、きれいな英語をしゃべれる人はそれほど多くないのだ。そう思うと少しだけ胸を張って歩けそうな気がした。聴き取れなければわかるまで訊き返せばいい。どうせ僕はここでは三歳児以下のレベルなのだから。

 昼は仕事のアポイントがあり、その前に旧AT&Tビルの最上階にあるプライベートクラブで寿司をご馳走になった。ここのマグロは大西洋から直接ニューヨークのダウンタウンにある河岸に届いたもので、極端な冷凍もされておらず鮮度もかなりいい。感動の逸品だった。マグロというのはこういう味だったのかと初めて知らされる。脂肪分が本当に甘い。築地にもこれほどのネタはないとみた。板前さんによれば三崎に揚がるマグロは捕獲されるや瞬間冷凍され、相場がよくなるまで保管されるという。一説には1年以上経ったものもあるとか。

 ありがた迷惑だったのは仕事が終わるとまた和食屋に招待されたことだ。ニューヨークまで来てどうしてこうも和食にばかりつきあわされるのか。しかしそもそもアメリカ料理などという土地の料理はないわけだし、そういう意味では巨大な肉塊をドカンと皿に盛って出されるよりは健康的でいいかもしれない。とはいえ昼に食べ過ぎたこともあって食欲もなく、ここは「手延べ讃岐うどん」で済ませた。

 

 食事を終えてカーネギーホールへ。これもお付き合い。クリーブランド響のモーツァルト・プログラムだった。内田光子さんという女流ピアニストが自らピアノを演奏しながら協奏曲を指揮していた。何とも器用というかご苦労様なワザだと思う。しかしバーンスタインもかつてこんな曲芸をやっていたような気がする。だがモーツァルトは心地よい眠りを誘った。クラシックコンサートでうたた寝するのはなかなか気持ちのいいものだ。

 それにしても幕の内弁当みたいなステイにそろそろ疲れも出てきた。日本の醤油味東京ラーメンが恋しい。ニンニクをたっぷりすりおろしたやつがいい。畜生、こんな時間に腹が減ってきた。気がつけばもう午前一時だ。

 

 

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