プロローグ〜飛行機なんて嫌いだ

 

 気がつけば99年に更新したパスポートも何だかんだでスタンプだらけになっているが、僕は今もなお海外旅行、なかんずく飛行機が苦手だし大嫌いだ。

 およそ洋行となると搭乗2時間前には空港に着いている必要があるわけだが、ただでさえ成田へ行くまでに都内からは気の遠くなるような長い時間を要する。あれは地の果てだ。石を投げれば千葉県に届きそうな東京の東のはずれに住んでいる僕でさえ夜7時のフライトなら余裕をみて3時半には家を出なくちゃならない。いざ着いても搭乗前までに荷物を預けたりパスポートチェックがあったり、税関、機内持ち込み手荷物チェックなどそうとうな労力が要る。僕にとっては「並ぶ」「待つ」という行為がいちばん疲れるからだ。唯一の救いは免税店で安く煙草が買えること。しかしあそこでカートンを買うたびに日本の煙草税の高さに腹が立ってまた気分が悪くなる。そういうわけで搭乗前には僕がなしうる最大の不機嫌顔になっている。

 さて離陸してサインも消えた頃、薬物で強引に眠ってしまおうかと思えば、今度は客室乗務員が狭い通路をしきりにワゴンでがちゃがちゃと音をたてて行き来してちっとも落ち着かない。いつも離陸のときには精根尽き果てていて最初の飲み物さえ断ることがある。それでも隣の客が何か頼めば目の前に客室乗務員の手が伸びる。仕方なく睡眠薬のために水を注文するのが常だ。頼みもしないのに雑誌や新聞を勧めにくると、「東スポか夕刊フジちょうだい」とまずはCA(Cabin Attendant=客室乗務員。女性のばあい俗にスチュワーデスなどとも呼ぶ)のねーちゃん(連中がいちばんいやがる呼び名だそうだ)に八つ当たり。そんなのあるわけねーだろ、と業務用スマイルの瞳の奥に怒りの炎が見えたらこのCAはまだ青い。

 がやがやと煩い客もいる。ラウンジのバーですでに出来上がってくる客は最低だ。ここは居酒屋じゃないんだぞと喉まで出かかった頃、古株っぽいCAのおばさんがやんわりと静めにくる。さすがチーフパーサー。だてにその歳までCAぶっこいてないなと感心。しかし観光便だと子供の声にまでうんざりさせられる。ひっきりなしに荷物の出し入れをする迷惑な客もいる。仏の顔してもらえる券は3枚綴りだ。4回目には眠ったふりをしたまま足をひっかけて転ばしてやった。

 食事は出るもののこれが悲劇的に不味く、これまで半分以上手をつけたことがない。どのみち運動もしないから腹も減らないのだ。最近はファーストクラスでさえファミリーレストラン以下らしい。かつてUAでサンフランシスコまで飛んだとき、「Beef? Or spicy chicken?」と訊ねられ、頭にきて「McDonald would be better.」(マックの方がマシだぜ)と答えてジゴロ風のスチュワードを困らせたことがある。やれやれ、最低の客っていうのは僕のことだ。UAのブラックリストには僕の名が刻まれているかもしれない。

 用足しようと思えばトイレはいつもoccupied(入ってます)のサイン。機内の湿度はサハラ砂漠以下の20%。欧米のエアラインだと室温も風邪をひきそうなほど低い。そして僕にとって不幸のきわみは今や全便禁煙であること。あそこ以上に不愉快な空間がこの世にあるなら教えてほしい。

 しかもこれがニューヨーク直行便でも10時間以上。そして現地へ着いたらまた入国に長蛇の列。さらに時差ぼけでへとへと。これではとても仕事にならないし、観光であっても最初の一日はホテルで休養することになる。

 ところが今回は違う。出発は羽田。到着は18:45で19:25発だ。パスポートチェックは知らないうちにやっておいてくれたし、通関も手荷物検査も申告だけ。ほぼ素通りだ。米国VISAがあるとはいってもこんなに簡単に出国していいのかと思う。

 行く先はアンカレッジ経由ニューヨークなどと言ったらいったいいつの昔の話かと訝しがられそうだが、これはまさに今年、2003年のこと。今回はさる要人に随行して小型専用ジェット機で飛んできた。13時間の旅だったが、これまでになく快適なフライトだった。通常のラインがバスだとしたらこの飛行機はハイヤーかリムジンだ。アンカレッジでの入国もすぐに最前列に入れてくれてたったの5分。滞在は給油も含めてたった30分ほどだった。飛行機は小型とはいえ時速850キロのファルコン900EX。12人乗りを8人乗りに改造してあるから椅子はゆったりしているし食事はテーブルで一流料亭の松花堂弁当から洋食のフルコースまでいただける。アンカレッジでの検疫でビーフ入りサンドイッチが取り上げられたのは残念だったが。

 機内ではDVDの映画も観られるし音楽も聴ける。禁煙は苦痛だが、何とかニコチンガムでしのげたし、コクピットにも入れてもらってパイロットからいろいろと空のことを教えてもらうこともできた。何より関係者しかいないので気も楽だ。役得とはまさにこのことをいう。とはいえ要人相手だから相応の気は遣った。

 

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