ホーム > 小谷の250字 > 2003年12月(31)


<< 我が音楽かくあるべし >>


2003/12/7(Sun)

 普遍的な名曲を書こうと意気込んではや10年、名曲を科学的に分析することから始め、行き着いたのが日本の歌謡曲崇拝。日本的5音階にこだわり続けた時期が続き、いつしかまた自由さを求めて時代の潮流に戻ったり、また旧いものに戻ったり。精神論に走ったり、また科学に戻ったり。平均律を棄てるという極論にも走った。
 自分の音楽の限界さえ見え始めた今、ふと四半世紀前の原点を思った。好きな女の子に尊敬されたくてギターを始めた。邪まではあるが純粋だった。
 名曲など要らない。音楽は愛するものへのメッセージであればいいのだ。
小谷隆


<< 寿限無寿限無 >>


2003/12/8(Mon)

 寿限無が小学生の間で大流行なのだそうだ。古典落語に登場するあの長い名前を低学年の児童が簡単にそらんじている。
「声に出して読みたい日本語」の中にもあったこの寿限無。文章にしてみるとけっこう長いが、日本の童唄に独特のグルーヴに乗ってしまうと一気に「長久命の長助」にまで辿りつく。物心ついた頃からデジタルビートに囲まれていた世代であっても、やはり母国語のグルーヴには敏感に反応するらしい。
 このブームでかの古典落語の絵本は30万部を売り上げたとか。願わくはいつか本物の落語にも触れてほしいものだ。
小谷隆


<< 映画の使命 >>


2003/12/9(Tue)

 俳優とは文字通り抜きん出た人々のことである。容貌も立ち居振舞いも優れた人々である。しかし俳優は美しさばかりを表現するわけではない。美醜ともにダイナミックに演じられるからこそ俳優なのだ。
 美しい人が対極の醜さを演じたとき、作品のテンションは最高潮に達する。観る側にとってみれば心地よい意外性だ。あんな美しい人にもこんな醜い一面があるのかと知ってある種の優越感や安心感をおぼえる。
 作り手の醍醐味もそんな意外性を演出することにある。時には俳優が不本意に感じるほど意外な一面を撮るのも映画の使命だ。
小谷隆


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