ホーム > 小谷の250字 > 2003年1月(123)


<< 血も涙もない作曲家 >>


2003/1/7(Tue)

 自分のストック曲を眺めてみると他人向けに作った曲が圧倒的に多い。自分で唄わない前提だと無責任なもので、歌手にはずいぶんと無理な要求をする。節回しの難しい曲の多いこと多いこと。とはいえ僕は妥協を許さないたちで、ちゃんと唄えなければ唄えるまで練習させるか、そうでなければ別の歌手に唄わせる。
 最近になって自分でもまたよく唄うようになって歌手の苦労がよくわかるのだが、さりとてその歌手の癖に合わせてあげるような寛容さはない。痛みのないトレーニングなど歌手にとって何の得にもならないと僕は信じている。
小谷隆


<< そういう意味でも絶妙な250字 >>


2003/1/8(Wed)

 片手間にスイスイといろんなことができていいですね、などと言われるが、実のところ僕はそれほど器用ではない。最近では切り替えもかなり悪くなってきて、たとえば小説のモードに入るためには3日ほど雑文を綴って慣らし書きをしないとリズムが出てこない。音楽モードに戻ろうとするときも同じで、2つ3つ雑魚のような習作をこなしてからようやく通常の作業に入れる。
 そういう意味でも250字というこのコラムの字数設定は絶妙だったかもしれない。これ以上長く綴ったら音楽モードには戻れなくなってしまうだろう。
小谷隆


<< 美しさとはセクシーさである >>


2003/1/9(Thu)

 世の中で美しいと評されている製品はすべからく性的シンボルとしての素質を持っているらしい。車でいうと特にイタリア車には女性の体型を連想させるものが多い。たとえばアルファロメオのVカットデザインなどはハイレグの水着を想わせる。くびれのあるコカコーラのボトルに至っては女性のボディそのもの。持ちやすさは抱きやすさと等価だったのだ。
 事ほど然様にインパクトのあるデザインはみなセクシーだ。そう考えてみると、ヒトの深層心理には四六時中セックスのことしかないというフロイトの説もまんざら暴論でもないのかもしれない。
小谷隆


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