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<< プロオケの凄さは「強さ」にあり >>


2003/1/4(Sat)

 仕事の延長でプロのオーケストラのリハーサルの場に立ち会うことがよくあるが、そのたびにやはりプロは凄いと感心させられる。
 アマとプロのオケで根本的に違うのは、プロは単なる音の「大きさ」とは違う音の「強さ」を表現できるということだ。かすかに聞こえるかどうかというピアニッシモを演奏しているときでもきちんとした輪郭をもった「強さ」のある演奏ができるのがプロ。小さくても決して音が痩せない。こういう「強さ」があるともちろんフォルテッシモに至っても音が割れて音楽的情緒を失うことはないのである。
小谷隆


<< 至上の楽器 >>


2003/1/5(Sun)

 発車直前の地下鉄。ドアが閉まりかけたそのとき、駅に轟く幼女の悲鳴。またドアが開いて、何が起こったのかと一斉に注がれる乗客の視線。何のことはない、ホームにいた女の子が手に持っていた風船細工を風に吹き飛ばされただけのことだった。すぐに駅員が駆けつけて風船を拾い、事なきを得る。発車は1分ばかり遅れた。まったく人騒がせだ。
 しかし、電車をも停めてしまったあの子の声は凄かった。電車が出てもまだホームで大泣きしている声がトンネルの中を伝わってきた。まことに人の注意を引くのに人の声に勝る音はない。
小谷隆


<< 音楽とは因果の法と心得たり >>


2003/1/6(Mon)

 どんな音楽もどの音をどんな音色でどんな大きさでどのタイミングで出すかの連続であることに変わりはない。最初の音がビッグバンとなり、そこから因果が始まる。複数の音が主題を構成し、それが次々と展開して新たな因果を織り成していく。聴いておかしな曲は因果関係が無茶苦茶だからだ。そしてそういう道理にかなった因果をつなぐには全体に通じる一貫した思想が欠かせない。
 楽理を知っているかどうかとは別問題。楽譜が読めなくても無意識のうちにこんな一貫性を貫いている人はいるものだ。そういう人をセンスのある人というのだろう。
小谷隆


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