ホーム > 小谷の250字 > 2001年12月(31)


<< 久々にマジメ(?)な制作 >>


2001/12/10(Mon)

 しばらく場繋ぎのような企画物が続き、A.R.T.も色物屋に堕ちたかとご心配の向きもあったようだが、この日曜の深夜に本格的な大型新人をデビューさせ、何より自分自身ほっとしている。この秋冬は予定していた制作が2つもボツった上に病気で作業が10日は遅れた。予期せぬ不幸が重なったが、ともかくも夏からの懸案だった加々美亜矢さんの名曲を「西風」という有望な新人に唄わせることができ、ようやく本来の路線に戻れた感がある。
 それにしても昨日の今日。録音して30時間後に公開とはネット時代を象徴するような時間感覚だ。
小谷隆


<< 制作者冥利に休み要らず >>


2001/12/11(Tue)

 3日も続けてクリエイティブな状態が続いたので、月曜はネットにも繋ぐことなく創作もせずのんびりカラヤンでも聴いて静かな休息の日にしようかと思ったいたのに、けっきょくハイな魂は新曲の書き下ろしやらデモ作りやらで日中を過ごし、ドヴォルザークの「新世界」が流れ始めたのは日も暮れかかった頃だった。まさに第二楽章の「遠き山に日は落ちて」の時間である。
 お蔭様で新人の「西風」が好調だ。良いものに敏感な反応があるのはまさに制作者冥利に尽きる。このささやかな歓びのためならたまの休息さえ返上しても惜しくはない。
小谷隆


<< 拘りとワガママの見極めについて >>


2001/12/12(Wed)

 天狗状態のアーティストの卵にこのままじゃ枯れるぞと警告したことがある。コードとリズムに乗せて次々と曲らしきものを書いてくるが、壁に突き当たってマンネリに陥っているのに気付かない。曲作りよりもまず基礎を固めようと諭したが、残念ながらいまだ袋小路で精力的に曲を書き続けている。
 甘やかすべからずとはすでに書いたが、芸術的な拘りと根拠のない意固地さを履き違えた若い素材が少なくない。制作者はそれをしっかりと見極め、諭すべきところは諭してあげないとせっかくの才能の芽も台無しになる。容認が優しさとは限らない。
小谷隆


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