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<< B.G.M.自動オフ回路 >>


2002/10/7(Mon)

 人は変人技だと笑うが、僕はどんな騒音の中にあっても五線譜に向かうことができる。ファーストフードの店やバーでガンガンにB.G.M.が鳴っていようと気にならない。もとより人間の耳は鼓膜を刺激する情報がどれほどたくさんあっても必要な音だけを選択的に聴けるようにできている。たとえば街の雑踏にあってふとどこからか流れてくる音楽だけをトレースすることだってできる。このとき人間の耳には他の音も確かに聞こえてはいるが、脳内情報としては認識されていない。
 僕の場合、幸い騒音が激しいほどむしろ頭の中の音に集中できるようだ。
小谷隆


<< 感想メールに思うこと >>


2002/10/8(Tue)

 この拙文に対して折に触れ感想メールが寄せられる。概ね好意的なものばかりだがたまには辛辣なご指導もいただく。返事はマメに返している。
 ひとつの文章に対しても捉え方は実に様々で、こうも多くの読み方があるのかと感心する反面、伝えたいことが伝わっていないことを歯がゆくも思う。文章に限らず歌も同じ。ある人に対しては限りなく癒されるであろう音楽も別の人には騒音でしかない場合もある。
 かといって万人に等しく賞賛される作品というのもいかがなものか。敵がいないということは味方もいないということだからだ。
小谷隆


<< 自作映画で唄うべからず? >>


2002/10/9(Wed)

 音楽家が映画作りに意欲を見せるのは必然の流れなのか。辻仁成も小田和正も桑田佳祐もはしかのように映画作りに走ったものだ。しかしながら主観もまじえて言えば作品としても興行としても成功したといえるようなものにはめぐりあえていない。
 特に桑田の場合、制作・興業においてその専門分野たる音楽の部分が突出しすぎたことに敗因があるのではないかと思う。「稲村ジェーン」は歌だけが独り歩きして必要以上に色をつけてしまった。間違いなくヒットすることが約束された歌の売上に相応しいだけの映画を素人が作るのは大変だ。
小谷隆


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