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<< ニューヨーク発〜人種の坩堝にて >>


2003/2/1(Sat)

 この街の高級アパートでは北向きの部屋が先に売れる。理由は風景がいいからだという。なるほど、北向きの窓から見る外の建物は南の日を浴びた明るい風景なのだ。
 しかし南側の部屋の方が温かくていいではないかと反論すると、地元のある富裕なビジネスマンはこう言った。「寒ければ暖房すればいいだけのことさ」。いや日が当たれば暖房代も節約できるじゃないかと反論すれば、「しかし陽射しは絨毯を傷める」と言う。なるほどここは人種の坩堝。いろんな価値観が渦巻いている。
 世界は思いのほか広い。そう思うとなぜかほっとした。
小谷隆


<< Ground Zero >>


2003/2/2(Sun)

 Ground Zeroを訪れた。現地の人のはからいで隣のAMEXのビルの空きフロアから外に出て全体を見渡した。数分間、言葉を失う。ここに超高層ビルがあったとは俄かに信じ難い。そこは本当にゼロだった。否、限りなくマイナスに近いゼロだ。
 後処理工事の音だけが響き渡る。まるであの忌まわしい日の轟音の残響のように。その残響を消してはならない。真摯に耳を傾け、それを音楽にするのが僕たちの使命だ。そう自分に言い聞かせながら合掌した。
 祈りの言葉が違う人々の争い。それを解消できるのはやはり言葉でしかない。
小谷隆


<< むごき者、それは神なる魔物 >>


2003/2/3(Mon)

 コロンビア号の悲報は朝のラジオで知った。9時半過ぎ、「ケセラセラ」の陽気な歌を遮ったニュースの声に慌ててテレビを点けると、CNNが煙を引く航跡を映し出していた。Ground Zeroから戻ったとき、ニュース画面の下に次々とテキスト情報が流れる中、イラク国民が「神の天罰だ」と叫んでいることを伝えるロイター電がよぎった。
 確かにこの事故で空爆は遅れるに違いない。しかしそれが神の仕業だとするならば、彼らの神はあまりに無慈悲だ。罪なき人を火の玉に包み、人々に憎悪の気持ちを植えつけるのが神なのか。
小谷隆


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