ホーム > 小谷の250字 > 2003年12月(31)


<< 親愛なるチャンドラーへ >>


2003/12/1(Mon)

 知らず知らずのうちに優しさを失っている自分にふと気づくことがある。そんなときは一挙手一投足を注意深くチェックしてみる。たとえば良かれと思ってしたことさえ相手を侮辱してはいないか、など。
 しかし自分の変調に気づくときはまだいい。本当に余裕がなくなれば防衛本能が頭を擡げ、場合によっては確信犯で人を傷つけてしまうこともありうる。
 優しくなければ生きる資格がない--これはチャンドラーの言葉だ。しかし優しくなるためには相当のゆとりが要る。男は強くなければ生きていけない--そんなのわかってるよ、チャンドラー。
小谷隆


<< 弱虫の強み >>


2003/12/2(Tue)

 何事に対しても弱気で消極的な人は、試練に直面すると自分にネガティブな暗示をかけてしまう。弱気だからできない、消極的だからできない、と。そしてそういう負の連鎖がまたその人を挑戦から遠ざける。
 かといってそういう人に強気で積極的にやれと言っても無理だろう。弱気かつ消極的でいいのだ。それを短所だと決めつけてしまうことにそもそも問題がある。弱気も消極的も注意深さという美徳に他ならないのだ。その注意深さをもってすれば、大胆なだけの人間より成功の確率は高いと知るべきである。
小谷隆


<< 無難とは堕落の選択なり >>


2003/12/3(Wed)

 物事がうまくいかないと予想するのはたやすい。失敗すると予告してから事に臨めば成功しなくてもお咎めはない。否、できませんと最初から尻尾を巻いて楽な道を行けば困難にぶつかることさえない。そんなわけで多くの人はいろんな言い訳をつけて困難を避けようとする。平穏に現状を維持するのが一番だと言う。
 しかし困難を避けた先にあるものは決して今と同等の境遇ではない。上に行こうと努力する人がいる以上、何もしない人は相対的に下へ追いやられる。
 無難な道を選ぶとは、つまり今より落ちるのを甘受するということなのだ。
小谷隆


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