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2007/3/22(Thu)

 その昔一世を風靡したポケットベルがついにその歴史に幕を閉じるそうです。広末涼子や葉月里緒菜がこのCMで注目され一時期は歌の中にもよく登場したアイテムでした。今や小学生でも携帯電話を持っている時代ですからお役御免といったところでしょう。こういうその当時の流行りものや言い回しがタイトルになったり歌詞に登場したりして今聴くと「それはちょっと…」という曲が結構あります。当然流行歌というのはその時代の世俗や文化を映し出すものですからその頃は特に変ではなかったのに後々「今更ポケベルて…」てなことも言われかねません。今回はそんな今はしない言い回しや見なくなったものがタイトルについた曲を何点かご紹介します。まずは「失くした耳飾り(太田裕美)」、今ならイヤリングかピアスって言うところですねぇ。同じ5音だしイヤリングではマズかったのでしょうか?松田聖子の曲に「ハートのイアリング」ってありましたが正確な発音はどちらなのでしょう?「想い出の赤いヤッケ(高石友也)」、衣紋掛けって言われるくらいピンとこないですねぇ。もっともウインドブレーカーとかにされると味も出ないのでしょうが(かなり昔の曲だし)。「恋のダイヤル6700(フィンガー5)」、リダイヤルなんて言葉ではまだ残っていますがイメージ的に番号を回す黒電話が想像できますねぇ、かなりアナログ感溢れます(ちなみにウチはこれ)。友達の家でテレビを見ていて思わず「チャンネル回して」と言ってしまったくらいの恥ずかしさですね。「夜霧のハウスマヌカン(やや)」、バブルの香りがプンプンしてきますねぇ。今はアパレルショップ店員とでも言うのでしょうか?トリは何と言ってもこれですね、「近鉄バファローズの歌(クールボナール)」。3年前までは存在したのに遥か昔のことみたいだなぁ…
ロク田中


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2007/3/29(Thu)

 88年からのもう一組はCHA-CHAです。萩本欽一氏の番組内ユニットとして「Beginning」でデビュー、異色のアイドルとして人気者になっていきます。現在もタレントとして活躍中の勝俣邦和が在籍したグループとして知られていますが異色と僕が思っているのは別のところにあります。この欽ちゃんは自分の番組でいろいろな才能を発掘してきました。素人はもちろんのこと俳優や女優、歌手とすでにそのジャンルである程度成功していた人の違う可能性をバラエティーで引き出してきました。その欽ちゃんがついにジャニーズと手を組み輩出した成功例がこのCHA-CHAでした。それまでのジャニーズの先人達もコントなどを披露する機会はありましたが本人達の番組内や隠し芸大会などでの余興的要素が強いものでした。しかし総帥のジャニー氏の意向もあってかこの頃から本格的にバラエティーへの進出を開始いたします。真のブレイクの始まりは数年後のSMAPの登場まで待たないといけませがその先駆けとなったことには間違いありません。またここでの欽ちゃんとの関わりが後々の香取慎吾の抜擢へとつながっていきます。このCHA-CHAはジャニーズ2人を含む5人組でしたがそのジャニーズの1人のダンス留学というジャニーズ的理由によって解散をすることになっていきます。さて、このCHA-CHAにはプロトタイプと言える存在があったことはあまり知られていません。やはり欽ちゃん番組での企画ユニットで「悲しきエクササイズ」でレコードデビューした「おめで隊」がその原型です。ジャニーズ2人(1人はCHA-CHAに残った中村、もう1人は忍者の正木)と当時パフォーマンス集団のメンバーで後に欽ちゃん劇団に入った奈津あつしの3人でした(勝俣の原型か?)。ただしこちらは急遽デビューの感は否めませんでしたが(曲があまりにもヤッツケ)。
ロク田中


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